様々に分析される「鬼滅の刃」の面白さ 最大の要因はナウシカの領域「自己超越」

何が面白いのか
分かりやすくテンポの良いストーリーで展開される絆の物語は涙を誘い、それを際立たせるように差し込まれるギャグパートの秀逸さ、そして魅力的なキャラクターたち。
世界中で様々な分析がされていますが、個人的に一番惹かれるのは、主人公である炭治郎の心です。
禰豆子かわいいー!とか日本刀と呼吸の戦闘カッコいい!とか、どの要素を取ってもすばらしい作品ですが、涙あふれる物語の核になる部分は、炭治郎の心だと感じます。
少年漫画 × ナウシカ
風の谷のナウシカと鬼滅の刃、まったく共通点のない作品に思えますが、主人公の心だけは通じるものがあります。
「自己の利益や安全にいっさい興味がなく、他人のために何が出来るかだけを考えて生きている」
親の教育や、宗教的な教え、他人の価値観でそうしなくてはいけないと思っているのでは無く、純粋に、無垢な心でそう行動している姿に感銘を受けるのではないでしょうか。
感銘を受けるのに理由もありませんが、炭治郎やナウシカの心が、人間の最上位の欲求「自己超越」を体現しているからなのかもしれません。
人間の欲求の種類は、分類の仕方によって40種類以上に及ぶこともありますが、最も有名な「マズローの欲求5段階説」では、次のように分類されています。
- 生理的欲求 - 食欲・睡眠欲など
- 安全欲求 - 安心・安全・健康な暮らしをしたいという欲求
- 社会的欲求 - 仲間を求めたり、集団に属したい
- 尊厳欲求 - 承認欲求、他者から認められたい
- 自己実現欲求- 自分の能力を開花させたい、クリエイティブな活動がしたい
基本的には生理的欲求から、順番に欲求を満たそうとするとされます。
注目したいのは、マズローが晩年になってから付け加えたという、欲求の6段階目「自己超越欲求」です。
自己の利益は一切考えず、100%純粋に他者や社会の為に貢献したいという欲求です。
人類の中でも、ほんの一握りの人間しか到達できない最高領域である「自己超越」
例としては、マザーテレサ、リンカーン、ガンジーなどが挙げられますが、炭治郎はまさに、この領域に到達していると言えるでしょう。
あげたおにぎりを半分貰って、ありがとう
水柱:冨岡義勇との出会いの話では、禰豆子を助けるために、炭治郎自身が斬られた後に命中するように投げた斧のシーンのように、命を賭したシーンも多数ありますが、日常パートでも随所に自己超越性が見られます。
雷の呼吸の使い手:我妻善逸との出会いの話では、お腹を空かした善逸に、炭治郎もお腹が空いているのに1つしか無いおにぎりをあげてしまいます。
そのあと、炭治郎があげたおにぎりを善逸から半分もらうのですが、炭治郎はありがとうといって受け取ります。
最初から半分こにすれば良いことなのですが、炭治郎は自分のことはどうでも良くて、善逸におなかいっぱい食べてもらうことしか考えていない、その後、半分を受け取るのは、善逸の善意に対してありがとうと言っていると解釈できます。
炭治郎は、妹である禰豆子を救うために自己犠牲を払い、どんな苦痛にも負けず、努力を惜しまない。
それが家族を奪われた自分自身のためとも取れますが、ストーリーが進むにつれ、鬼に対する考え方や接し方、鬼の被害にあってしまった人たちへの思いが描かれる中で、炭治郎の純粋無垢な心と、他者への貢献の心がハッキリと認識され、感動を生むのです。
最後に
鬼滅の刃のヒットを、広告戦略のおかげとか、コロナせいとか言う人もいますが、良い作品だから広告にお金を掛けるのは当たり前です。
そしてその広告費が従来の作品の何倍もの効果を生んでいるのは作品の力でしょう。
映画の歴史的な大ヒットは、コロナによる他作品の減少や、規制緩和のタイミングなど、時代の流れが大きく影響しています。
ただそれは映画に関しての話で、コロナが無くても大ヒットする作品でなければ、歴史に残るほどの記録が残せるはずもありません。
だからと言って自分の好きなものを他人に押し付けるつもりもありませんし、面白くないという意見があるのも分かります。人それぞれ楽しいものを楽めたらいいな。
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