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ぼくのかんがえた進化論

8月 26, 2020

宗教の強い国ではあることらしいですが、アメリカの教科書の一部で「進化論」が外されている、と言う記事をみました。
「万物は神の創造物であるという教えに反するから」という理由らしいですが、日本人からすると、宗教の影響力の大きさを改めて知る出来事の1つです。

私は信心深い方では無いですが、進化論に疑問は持っていました。
自然や動物を扱ったTV番組や動画を見ると「進化」という言葉だけでは、説明がつかないんじゃないかと思うからです。

爬虫類から鳥類への進化

爬虫類からの進化には、
保温・防水・軽量性・耐久性に優れた羽毛を生やし
航空力学もビックリの翼を形成
骨の軽量化
筋肉の超増強
脳の変化
これらを成さなければ、鳥類への進化は無いわけです。

偶然そんな事が達成されるのでしょうか?

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進化論的な考え方

何億年という途方も無い時間の中で生物は変化を続けてきた。
わずかな変化、または突然変異やウイルス変異のような大きな変化まで、一度に起きる変化の振れ幅は様々ですが、変化の種類は天文学的な数字になる。
その中から、気候・生態系・地形などに、たまたまフィットした生物だけが生き残り、また次の変化をしていく…。

問題なのは「変化」

どう変化するかは完全に無作為で、生物自身がこうした方が生きやすいから、こう変化しようと決めるわけではない。
悠久の時の中で繰り返される無作為の変化が、結果として複雑な構造を持つ生物を誕生させる。
あまりにも長い期間の話しすぎて、理解できないだけとも思うのですが、なんの方向性の定義もなく、単細胞生物から、現在の人間を含む複雑な生物たちが、無作為の連鎖だけで出来たというのは腑に落ちない。
種の保存という命のルールですら、変化には何の影響も及ぼさないわけですから。

理解できる部分もある

爬虫類から鳥への変化は、始めは枝から枝に飛び移る程度のものだったのかもしれない。
やがて滑空してより遠くへ飛ぶようになり、羽ばたくモノが現れ、そして飛ぶように変化していった、と考えることは出来る。

キリンだと分かりやすく、たまたま首と足が伸びた種類が、高所のエサを独占できたから繁栄した。
いきなり伸びたわけでは無いでしょうが、”無作為の変化の連鎖”の結果としては想像が付きやすいです。

覚えている不思議なこと

アイアイ(おさるさん)は指で木の幹をトントンして、空洞の有無から餌となる虫を探して食べますが、トントンする指は細く長く、幹を叩く専用の進化をしています。
空洞を探る技術は野生の勘で取得したのでしょうか。

デンキウナギは微弱な電流をレーダーとして使用し餌となる魚を探し、電撃の射程に入ると電流を流して餌を取ります。

チョウチンアンコウやコメツキムシの一種は、光を発することで獲物を誘き寄せて狩を行います。

揚力を得る翼1つとっても、人間なら、設計、失敗、再設計を繰り返すことで、いつか完成しますが、飛行するという目的すらなく、永遠に何かを作り続けて行く中で、たまたま揚力を得る装置が出来るって無茶苦茶ではないでしょうか。

結局

進化論は正しい部分もあるけど、全然足りない部分だらけということでしょうか。
単細胞が多細胞化して、複雑な臓器や神経ネットワークを構築出来たことが、無作為の変化の連鎖=偶然とは到底思えません。
かと言って神が設計図を授けたとも思えませんが、足りない因子があることは確かだと思っています。

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